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漢城・百済の由来

ソンパ(松坡)紹介 >歴史>漢城・百済の由来
漢城・百済の由来
「漢城(ハンソン)百済時代」とは、百済がハンガン(漢江)流域に都を定めた時代のことである。ソンパ地域において古代国家としての土台を築き、文化が花開いた百済の前期である。(BC18〜475)
ソンパ地域が国の都になったのは、2千年前である百済の始祖「温祚(オンジョ)王」が今日のソウル・プンナプドン(風納洞)地域に都を定めたBC5年のことである。
高句麗を建国した朱蒙の息子である溫祚・沸流兄弟は、高句麗建国の功績の恩賞を享受することなくそのまま南下し、現在のソウルの北部地域に定着した。溫祚は、ハンガンの北側、慰礼(ウィレ)城を根拠地とし、沸流は弥鄒忽(今のインチョン<仁川>)に定着した。その後、慰礼城の民の豊かな暮らしを見た沸流は羞恥のあまり死んでしまい、溫祚は沸流の民を受け入れた。溫祚14年(BC5)には、南にあるソンパ地域へ遷都した後、古代国家としての土台を築き、文化の花を咲かせた。 温祚王から文周王元年まで、漢城から熊津(今のコンジュ<公州>)に遷都するまでの493年間(BC18〜AD475)を「漢城・百済時代」という。

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