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風納(プンナプ)土城

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風納(プンナプ)土城

風納(プンナプ)土城
時代
百済時代初期
指定
史蹟 第11号 (1963. 1. 21)
位置
松坡区風納洞72-1他
規模
190,624.67㎡
交通
[バス] 3312, 3214, 3411, 340, 341, 361
[地下鉄] 5号線 千戸駅(風納土城駅)

漢江の川辺に位置する百済初期の土築城郭で、主に風納土城と呼ばれている。現在の名称は1963年の史蹟指定当時、行政区域が
京畿道廣州 郡風納里だったことから付けられた。

本来の土驍フ形態は南北に長い楕円形で、周囲3.5km、南北2km、東西1kmに及ぶが、漢江側の西壁は1925年の洪水で崩れ落ち、現在は約 2.7km残っている。城壁は細かい砂を段階的に固めて積み上げた幅40m、高さ9~15mの巨大な板築土城で、東側には4ヶ所に出入口と見られる 痕跡が残っている。 風納土城は乙丑年(1925年)の大洪水の際に、青銅製斗、誇帯金具などの主要な遺物が出土して日本帝国時代から河南慰 禮城として推定されるなど、注目を浴びてきた。第二次世界大戦後の1966年にソウル大学校が初めて試掘調査を行い、百済時代の生活面2層と 硬質無文土器をはじめとした紀元前後~5世紀代の遺物が確認された。

その後、1997年に鮮文大学校で風納土城の城壁の実測調査を実施していた際に、再建築工事の現場から百済土器などが多数出土した事実が 明らかになり、国立文化財研究所が緊急発掘調査をした。

それにより3重の環壕遺構と平面形態の6角形に20坪前後の家の跡19基、土器釜1基及び多数の縦穴遺構、土器、瓦、鉄器、「呂」字型の大型建 物址である44号遺構及び「大夫」名の土器などが調査されて、大きな関心を呼んだ。

このような風納土城は、その築造時期と、大きな川を挟んでいるという立地的条件、そして周辺に古墳群や山城などが構築されているという点など から見て、同じような時期の古代都城である楽浪土城や高句麗の国内城などと肩を並べる。

また、当時の人口規模や社会組織、権力構造などを考慮すると、3世紀前後に巨大な規模の土城が築造されたという点は、風納土城が百済初期 の王城だった可能性を一層高いものとしている。


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