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ソウル石村洞(ソクチョンドン)古墳群

ソンパ(松坡)紹介 >歴史>ソウル石村洞(ソクチョンドン)古墳群

풍납토성 이미지 갤러리

石村洞(ソクチョンドン) 百濟(ベクジェ)初期 積石塚
時代
百済時代初期
指定
史蹟 第243号 (1975. 5. 27)
位置
ソンパ(松坡)区 石村洞 248
規模
49,999㎡
交通
[バス] 340, 363, 3423
[地下鉄] 8号線 石村駅

百済初期から475年に熊津へ遷都するまでの間に形成された百済前期の古墳群は、百済の埋葬風習や政治、社会、文化などに関
する百済史の 様々な内容を私たちに知らせてくれる。南北方向に標高約20mの浅い堤防のような形をした台地にある。

日本帝国時代当時、80基以上の古墳が残っていると調査されたが、1974年の最初の発掘調査の際に形態を維持していたものは、3号・4号・5号 墳だけだった。しかし、1983年以降の調査で数基の積石塚、土広積石墓、石槨墓、甕棺墓、土広墓などの新しい遺構が確認され、その他に封土 墳や、葺石封土墳、火葬遺構などが発見された。

積石塚である1号墳は南墳と北墳が結合した双墳で、南墳は積石塚であり残存している石築内部から石槨4基が調査された。4号墳の南側に位 置する2号墳は石築を築造する際に粘土を詰めた内部から木棺1基が調査された。

1986年には3号墳の東側地区に対する調査が実施され、上層の土広墓、甕棺墓と、その下層から大型土広墓などが発掘された。その中で大型 土広墓は、今まで知られていなかった形態の墓方式で、一番下の粘土層を掘出し、その中に8基の基棺を安置した特異な構造の墓である。

各木棺からは赤い色と黒い色が塗られた漆器を始め、土器と漆器など、たくさんの遺物が出土した。
石村洞積石塚の上限年代は4世紀中葉と推定され、百済が公州に都を移してからは積石塚は築造されなかった。


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